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頑張ってる 君がすき

MORSEーモールスーを観劇して~想像を膨らませてみる~


MORSEを観てきました。

発表になったときから、原作などを知っている方からは重い内容だと聞いていた。
舞台が始まる前の雑誌のインタビューで小瀧くんは、自分はいじめられたことはなくオスカーと似ている部分は少ないと言っていた。
確かに、人物像に書かれているオスカーは小瀧くんに似ても似つかない。普段の小瀧くんとは真逆な役だと思った。
全くの未知のまま、期待と想像を膨らませて観てきました。


ここからは私の感想ですが、ネタバレの部分もあるので、これから舞台を観られる方はご了承ください。



と書きながらも、どう感想を書いたらいいのか分からない。
○○○が面白かったよ~、○○○が笑えた~っていう場面はほぼ無かった。終始、切なくて重苦しい雰囲気だった。
でも、オスカーとエリの恋心を描く場面は微笑ましく、舞台の中でも気の休まるときだった。
恋をしてしまったが故に切なく苦しい思いもするけれど、オスカーの心の拠り所となったエリの存在は大きかったと思う。


物語の中で、オスカーにはとにかく"居場所"がなかった。家にも学校にも…。
母親はアルコール依存症で、オスカーを溺愛している(と思えば、汚い言葉で罵ったり大声をあげたり情緒不安定。夫が出ていった隙間をオスカーで埋めようとしているようにも感じた)。
父親は同性愛者で、母親に見捨てられ家を出てきたオスカーを受け入れるものの、結局は恋人を取る。
親が、家庭が、全く機能していない。

学校では酷いいじめにあい、ビクビクしなが過ごしている。
オスカーが一人の時には優しい言葉を掛けるミッケも、いじめの場面になれば加担する。
とにかく熱い体育教師も、事の本質には気付いていない。
オスカーがヨンニに怪我をさせてしまった時、怒鳴る体育教師にオスカーは、
『どうして、もっと早く気付いてくれなかったんだ』と声をあげた。気づいてあげられる大人は居たはずなのに、みな自分の事で頭がいっぱいだった。
家に居ても、学校に居ても居場所のないオスカーを見ていると本当に苦しくなった。

そんなときに出会った不思議な少女エリは、どれだけオスカーの心を救ったんだろう。
女の子じゃないと言われても、人間じゃないと分かっても、それでもエリを受け入れたオスカーとの関係を、綺麗な言葉で純愛と言えば純愛だけど、限界や極限だったと言ってもいいのかなと思った。

印象に残ったシーンは、一度エリと別れ、また一人ぼっちになってしまったオスカーと、いつも優しく接してくれていた売店のおじさんとのシーン。
この売店のおじさんは、万引きをしているオスカーに気付いているはずなのに、責めない。
それどころか、顔に傷を付けたオスカーにお菓子をあげていた。
そんな優しいおじさんを、オスカーは『猿に似ている』とバカにした。
おじさんは『人をバカにして楽しいか』と怒る。
学校で『ブタ』と言われバカにされ続けたオスカーが、その気持ちを分からないはずがない。
オスカーが、エリ以外に唯一優しくしてくれた相手を失った。
切なかった…。バカにされる気持ちを痛いほど分かっているはずなのに…。
それまでオスカーが"失った"モノは、ある意味オスカーのせいで失ったものでは無かったと思う。
親が勝手に手離して失った愛情や居場所。
あってないような理不尽な理由で失われた学校での居場所。
仕方がないと、愛する気持ちを抑えて失ったエリ。
でも、売店のおじさんとの関係は、オスカー自身が手離したもの。とても切なく苦しかった。

最後のシーンは、見る人によって解釈は変わるような気がする。
一緒に居ることが幸せなら、それも1つの選択肢だと思う。けれど、ホーカンがそうだったように、オスカーも同じ道を歩むのだろうか?と思うと、うーん…と思ってしまう。
エリを箱に入れ運んでいる姿は、冒頭のホーカンの姿と被る。
エリはこれからも何百年と生きる。歳を取らずに。
エリとホーカンの関係も、最初はオスカーと出会った頃のように幸せだったと思う。
でも、ホーカンは歳を取った。若いときのようにエリにお腹いっぱい食べさせてあげられないし、昔のような新鮮な関係でもない。何処にでもいるような、熟年夫婦のようだった。エリの外見とはギャップがあり、凄く不思議な感覚になる。
そんな時、オスカーに出会い惹かれていく。
ホーカンはエリに愛されたい、自分はこんなに愛しているのにと言いながら死んでいく。
オスカーも、ホーカンと同じ道を歩むのか…?
エリの為に人を殺し、人目につかない場所で暗闇の中で生きていくのだろうか。
あのオスカーが、本当に人を殺すんだろうか…。
オスカーはまだ12歳。これから先、長いけれど限りのある人生を暗闇ではなく、明るい陽射しの中で生きて欲しいと思うけれど、きっともうオスカーは戻らない。
オスカーが歳を取ったとき、エリが別の男の人に惹かれるかもしれない。きっとエリは、ホーカンやオスカーのような存在を見つけて今まで生きてきた。その繰り返しの中のほんのひとこまかもしれない。
エリにも心があるから傷つくし、永遠に生き続ける悩みもある。だからエリが悪いわけではない…
だけど、その時オスカーはどうするんだろう。ホーカンの様に死んでいくのだろうか…?
観劇以来考えているけれど、答えが出ない。もう出なくても良いのかなと思い始めた。
こうして物語の先を観客に考えさせてくれる作品は面白いんだと、MORSEで初めて知った。いくらでも自分の中でストーリーを作れるし、誰かの考えを聞いてみたくなる。
私は二人の未来を暗闇の方へ考えてしまうけれど、見る人によっては違うのかもしれない。
もし二人が明るい光の射す未来に行けるとしたら、どんな道を歩んでいくのか。そんな想像をする方の話を聞いてみたい。

それと、ちょっとしたことだけど気になったのが、劇中でエリが『中に入れて』と必死にオスカーに頼んでいたこと。
その意味を全く知らなかったから、何で?と思っていた。家に帰ってパンフレットを読んだら、
『原題の【LET THE RIGHT ONE IN(正しき者を入れたもう)】は、ヴァンパイアは招かれなければ家の中に入ってこられない、という言い伝えに由来している』
と書いてあった。
ヴァンパイアって、意外と律儀!ってクスッと笑ったけれど、"正しき者"ってどういう意味なんだろう…?
パンフレットを読む前は、何で?と思いながらも、人間と同じ言葉を話したり人間と同じように感じる心があるなら、受け入れて欲しい・認めて欲しいという気持ちを持ってもおかしくないと解釈していた。誰だって、否定も拒絶もされたくない。
でも、"正しき者"という表現をみたら分からなくなった。
また頭が混乱し始めたけれど、もう少し自分の中で想像を膨らませてみたくなった。やっぱり考えることが好きなのかもしれない。



MORSEという作品を観ることができて、本当に良かった。
幕が上がる前は『のんちゃんが見れる~』なんてワクワクしていたけれど、暗闇の中から現れた小瀧くんは、いつもの"のんちゃん"ではなく"オスカー"だった。
ライブの時のような『キャーかっこいい~!』なんて思いは、頭からスポーンと飛んでいった。
なのに、舞台が終わり数秒間の暗闇のあとに現れた小瀧くんは、いつもの"のんちゃん"だった。
かっこよくて可愛い、のんちゃんだった。
なんだ、この人は!!!って衝撃を受けた。
小瀧くんから目が離せない。
離したくないと思った。

のんちゃん、あと少し頑張って!


そして、最後になってしまいましたが、エリを演じていた水上京香さんのエリも私は大好きでした。
人間とは違う動きをするエリは凄く大変だったと思うけれど、体の重さを感じさせない身軽な動きを、もっと見ていたいと思った。
オスカーとホーカンへの接し方の演じ分けも、とても上手だった。
エリの気持ちがオスカーに向いていると気付いたホーカンに、『あなには感謝している』と言ったエリ。感謝はしているけれど、あなたへの気持ちは前の様ではないとエリの言い方や声のトーンで分かる。
ホーカンの前では大人なのに、オスカーの前では少女だった。
これから注目していきたい女優さんになりました。



そしてこのMORSEの舞台をもって、2015年のあおの現場活動は以上となります!
振り返れば、行きたいと思った現場には行くことができ、充実した1年だったと思います。
残りの約一ヶ月は、お茶の間から全力で応援します!

そして年末年始と言えば、ジャニヲタのHDがフル稼働の録画ラッシュ。
FNS歌謡祭にMステSP。大晦日にはジャニヲタの一大イベント、カウントダウン!
それに備える為にも、毎年恒例のDVDへの怒濤のダビング祭り、開催です。

今年のダビング、今年のうちに!!


ひぃぃぃぃぃ(/´△`\)


頑張る!!!!